Eddie Landsberg
プロフィール(as musician)

プロフィール(as musician) 日本語

私は大学を卒業した後日本へやってきましたが、またプロのミュージシャンとして世界中を旅してもきました。現在は企業に英語を教えています。(スーツを着る仕事です。)でも、また再びバンドを組んで演奏し始めたいとも思っています。 
私のメインの楽器はハモンドオルガンですが、ドラムも演奏しますし、歌も歌います。 
音楽の収集と演奏以外には犬の調教に興味があります。(プードルを2頭飼っています。)それから映画鑑賞や「赤ちょうちん」に行くのが好きです。焼き鳥や焼き肉、ホルモン、串焼きのような食べ物が好きます。焼酎(芋、ホッピー、梅干し)も好きです。 
バーよりも屋台や居酒屋が好きなので、外国人としては変わっていると思います。 

会話をしたり簡単なEメールなら読んだりできますので、いつでも私にご連絡下さい(これは読みやすいように翻訳してもらったものです。) 

profile as musician 
私は、10月2日米国フィラデルフィアに生まれ、現在は東京に拠点を置くジャズ・オルガン奏者です。ジャズをこよなく愛し、 自ら演奏するばかりでなく、その教育にも力を注ぎ、世界中でクリニックを開いたり、 東京にライブバー『エディーズ・ラウンジ』開いたりとジャズオルガンへのアプローチを幅広く行ってきました。これまでに確かな信頼できるスイングの演奏者として、一流のエンターテイナーとして、また革新的なジャズの教育者として、あるいはジャズ界の伝説的作品をうまく選んで非常に楽しめるCDのプロデューサーや共同制作者としての地位を確立してきました。 

最初にジャズを聞き始めたのは12歳のころ、 地元で24時間放送を行うジャズのラジオ局を偶然見つけたときでした。ジェームズ・ブラウンの音楽を聴いてまもなく、R&Bに興味を持つようになりました。 高校では、フィリー・インターナショナル・スタジオ(PHILLY INTERNATIONAL studios)の近くにある学校に通い、フィリー・ソウルの伝説的ソングライター兼ミュージシャンである2人、マクファーデン&ホワイトヘッド(McFADDEN and WHITEHEAD) の子供たちとクラスメートでしたので、ルー・ロウルズ(Lou Rawls)やテンプテーションズ(Temptations)のメンバーたち、 ハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツ(Harold Melvin and the Blue Notes)などの多くのスターが、有名なプロデューサー、 ケニー・ギャンブル (Kenny Gamble)やレオン・ハフ(Leon Huff)に会いに行く途中に学校を通りかかるのを見て刺激を受け、絶対にミュージシャンかプロデューサーになりたいと考える自分に気づいていました。 

私はSettlement Music School(音楽学校)とGoddard College(大学)に通いました。Goddard Collegeでは、シリンガー・メソッドを取り入れてジャズを教える先進的な方法を研究しました。 

その後初めて日本でホームステイしました。 最初に来日したとき、伝説の日本人DJ福田一郎さんを教えました。彼は私に日本でのポピュラー音楽や洋楽に関して多くのことを教えてくれました。結果として、日本の音楽にも大変興味を持つようになりました。 

初めてレッスンを受けたのはオルガン奏者シャーリー・スコット(Shirley Scott)からです。その後、同じような志を持ち、私と気の合う人物である有名なジャズ DJピート・ファリコ(Pete Fallico)に、ジャズの伝説的人物ビッグ・ジョン・パットン(Big John Patton)を紹介され、彼に師事しました。彼からジャズ・オルガンの極意を学び始めました。またフレディ・ローチ(Freddie Roach)やワイルド・ビル・デイビス(Wild Bill Davis)などのオルガン奏者にも大きく影響を受けました。 

イリノイ・ジャケー(Illinois Jacquet)のビッグバンドのアレンジャーであるアート・ダニエルス(Art Daniels)というサックス・プレーヤーが、彼の生徒から私の演奏について聞き、ヴォーカル兼ティンバレス奏者のドッティ・スミス(Dottie Smith)を紹介してくれました。 最初のプロとしての経験は、こ のドッティ・スミス と一緒でした。彼女は以前、ジャンプR&Bの伝説的人物ルイ・ジョーダン(Louis Jordan)や ワイノニー・ハリス(Wynonie Harris)のロード・マネージャーをしていました。 

ジョージ・ベンソン(George Benson)の親友であるセレーノ・クラーク(Seleno Clarke)の推薦で、フィラデルフィア州で チャールズ・ヤング・ポスト(Charles Young Post)のバンドリーダーに選ばれました。 このポジションは、私の楽器分野に於ける2人の伝説的人物トゥルーディ・ピッツ(TRUDY PITTS)と ジミー・マクグリフ(Jimmy McGriff)も以前にやったことがあります。ホーン演奏者は、 サン・ラー(Sun Ra)やラリー・ヤング(Larry Young )、マッコイ・タイナー(McCoy Tyner)のグループ出身のバイアード・ランカスター(BYARD LANCASTER)でした。マックス・ローチ(Max Roach)やサン・ラーのグループ、またアレサ・フランクリン(Aretha Franklin)のヴォーカル・コーチであるウィラ・ワード(Willa Ward)を含め、 沢山の有名なフィリー・ジャズ(Philly Jazz)のミュージシャンがいました。 

スウェーデン・ジャズ協会(Swedish Jazz Society)の出資するヨーロッパ・ツアーも行い、Radio Swedenではライヴ放送もされました。 

2001年には、ファンクの伝説的人物 サー・ジョー・クウォーターマン(SIR JOE QUARTERMAN)と共に制作を行い、MTVの系列である TVNorge(ノルウェーのテレビ局)がプロデュースするロード・トリップ特別番組のリサーチ・コンサルタントも勤めました。

私のデビューCD「REMEMBERING EDDIE JEFFERSON」はアメリカで100以上のラジオ局で放送され、多くのローカル・マーケットでトップ10に入りました。ブルー・ノートのレコーディング・アーティストであるベン・ディクソン(Ben Dixon)によってプロデュースされ、 ビーバップのヴォーカリスト、ジャコモ・ゲイツ(Giacomo Gates)や ジェイムス・スポールディング(James Spaulding)、 ランディ・ジョンソン(Randy Johnston) をフューチャーし、 ナショナル・ジャズのヒット・チャートに載りました。 

ジャズの インプロビゼーションに関する本「The 7 Secrets of Jazz and Soul」を執筆し、 ザ・シュガーマン・スリー(The Sugarman 3)のメンバーをフューチャーした教育ビデオを録音しました。 

次のCD「Man With A Groove」は、スウェーデンのジャズ・レーベル「BERGHEM」用に、スウェーデンで録音され、クラビアの Nord Electro 用のデモ曲として使用されました。またTokyo Weekender誌プロデュースする六本木ヒルズのオープニングを祝うDVDのBGMとして、さらにYamahaのオートバイの展示用ビデオのBGMとしても使用されました。 

また以前東京でライブバー『エディーズ・ラウンジ』を経営していました。ほぼ毎晩、ソウルフルでスウィングなジャズ・オルガンのライブを行い、ライブの合間には70年代のソウルのビデオを流していました。何百人ものミュージシャンが来店してくださり、NHKやたくさんの雑誌の取材も受けました。 

3枚目のCD「Them That Swingeth」では、 ジャック・マクダフ(Jack McDuff)の Heating Stationのメンバーやジャズ・ギターの伝説的人物ロイス・キャンベル(Royce Campbell)をフューチャーし、日本のHMVの店内視聴機で、推薦曲になりました。ミュージック・ビデオは「GET WICKED」からのドラム・トラックをフューチャーし、私がオルガンを演奏していますが、Youtubeで10万件以上のヒットがありました。 

さらにVictor Entertainmentのレコード・レーベルBabestarの契約アーティスト「Special Others」から依頼を受け、キーボード奏者のコーチをしたり、歌詞を提供したりといった経験もあります。 私が書いた歌詞は「SPECIAL OTHERS」の2枚のアルバムに入っています。さらにアメリカのトップ・ジャズ・オルガン奏者を特集するラジオ番組「DOODLIN’ LOUNGE」でも2度インタビューを受けました。 

音楽活動は中断していますが、楽しく、グルーヴ感のある、スウィンギングなジャズ・オルガン音楽の私のスタイルをそのまま理解してくれるミュージシャンが見つかったら、音楽活動を再開したいと思っています。

http://eddielandsberg.tumblr.com/